農村役牛は多

農村役牛は多

ほったらかして



食事や入浴、就寝???すべて、ひとりで3人分行う。当たり前のことだが。
育メンは、ゼロ。
子育てや家事を手伝うどころか、子どもがひとり増えるかんじで、
夫が帰ってくると、かえって手がかかるので、憂鬱だった。
帰ってこなければ、どんなに楽かと思った。
そういう時代である。(といっても、夫に対して、時代遅れ感は、感じていた)

自分は当時、専業主婦なので、それで当然と思っていた。
ひたすら、たいへんだ~と思って、こなしていた。

幼稚園に入園する日を指折り数えて待っていた。
縁もゆかりもない地に転々と転勤し、地縁も血縁も知人も友人もなく、
来る日も来る日も、もくもくと動物のような乳幼児とだけ過ごしていた。

うっぷんを子どもで発散して、あたる、などというチャイルド?アビューズは、まったくなかった。
手をあげたことは、一度もない。
不思議なことに、彼らはとてもお利口さんだった。
みゃーみゃー泣いている、か弱き動物のような小さな幼子に、手を上げるなどとはありえない。
3人だけの小さな私設保育園のような感じで、ミニコミュニティを形成し、長女を長に、秩序が保たれていた。

園長先生は、わたしである。
現場監督を長女に任せ、遠くから見ている感があった。
(直接の身の回りの世話はするが)

だが、この現場監督は、時々、上司であるわたしに、いろいろ現場改善要求を突きつけてきた。
サボりであるわたしは、重い腰を上げて、しぶしぶ、それに応じた。

が、憎たらしいと感じたことがない。
なぜなら、いつもわたしは手を抜こうと、そればかりを考えていた。
いかにすれば、最低限度の手間で、コトが進むか。世話をカットできるか。
なので、子どもが不平さえ言わなければ、どんどん手を抜いていた。
文句を言われるまで、ほったらかしていた。
一種のネグレクトである。
が、食事を与え、身を清潔に保ち、身辺の世話はちゃんとした。
(とは言っても、自分が出来る程度のこと。教科書のお手本のように完璧、とは決して言わない)


精神的な面でも、ほったらかした。